子供は幼稚園や小学校に入るまで外の世界を知らない。親が作り出した世界が彼らのすべてになる。
ぼくの家は笑えるほど保守的だった。いや保守的というより、マルクス主義に没頭したカストロのように子育てに対してなにか強い理想があったのかもしれない。テレビは週1日日曜日の夜の60分の教育アニメだけ、マンガはバカになるからと本しか買い与えられなかった。
別に貧しいわけではなかったがおこずかいはほとんどもらえず、オモチャを欲しがってもめったに買ってもらえることはなかった。
それでも小学校に行くまではそれが当たり前だと思っていた。
でも小学校に入って友達に行くと、マンガを読みながらテレビゲームをやっている。親がやってはいけないと言っていたことをすべてしている友達を見て驚愕した。自分の中で組み立てられて来た価値観は6才にして無残にも砕け散ったのだ。
もちろん外の世界を知ってしまったボクは親に見つからないように様々なことをした。
マンガを読んでると姉に密告され全巻没収されたり
親の財布から金を盗んでお菓子を買いに行くも後をつけられて、大目玉をくらったことも。
ボクは気づくと完全にコミニズムのヒエラルキーの中にいた。それでもボクら兄弟はベルリンの壁を指でほじくりながら少しずつコミニズムを少しずつ壊していった。
そして、この小さなコミニズム国家は国民達の成熟とともにいつしか民主化していった。
コミニズムというのはいろいろ生活に制限を設けられる。
人間というものはそういう時に自由を強く切望する。ところがなんでもできるようになると不思議と自由というものを感じなくなる。あの頃切望した自由の甘酸っぱい感じはなんとも形容し難い。
本当の自由というものは抑圧されているものの心にしか存在しないのかもしれない。